吉野秀夫(千葉県議会議員)のホームページ

最終更新 2000/11/11

 ダイオキシン類が人類の生態系に与える影響の大きさが途方もないものであること が指摘され、ダイオキシン対策が叫ばれ久しいが、最近、ダイオキシン対策がどう なったのか見えなくなっていませんか。

 そんな中、10月13日の朝日新聞に「ダイオキシンが、ヒトの細胞内でウイルス の増殖を促進する作用をもつ」との記事が2面トップを飾った。その朝日新聞の記事 によると、鹿児島大の難治性ウイルス疾患研究センターの村山次哉・助教授らが発見 したという。しかも、この作用はダイオキシン類が水質における環境基準の十分の一、日本人の 平均血中濃度の約千分の一という極めて低濃度で出現するそうで、人体の耐容摂取量 や、環境基準の大幅な見直しを迫られる可能性があるとのことでした。
 この論文は、10月14日に日本ウイルス学会で発表されるとのことですから、是非、詳報を待ちたいと思います。

 私は、ダイオキシン対策について、千葉県議会でしばしば県当局と論戦を行ってきました。また、ダイオキシンの生態系に及ぼす影響についても、多くの皆さんに認識していただこうと、語る会等でお話をさせていただいています。

 私がダイオキシンに恐怖を感じたのは、いろいろな書籍を通して知りえたことに基づいていますが、例えば映像というか写真ではあの有名になったベトちゃん、ドクちゃん兄弟に象徴されますが、その他に「母は枯葉剤を浴びた(新潮文庫)」中村梧郎著の中の写真によるところが大きい。ダイオキシンの被害を象徴的に物語るのは、ベトナム戦争におけるアメリカ軍による枯葉作戦がもたらした惨状であると思います。

 中村梧郎氏の著書によると、米空軍によるベトナムでの枯葉作戦は、1961年にはじまった。ベトナムのジャングルや田畑に航空機から化学薬品を浴びせ掛け、解放勢力の食料源と拠点を壊滅させるのがその狙いとされた。その作戦は10年あまりの間、休みなくつづき、1971年に終わった。じつは枯葉作戦に用いられた化学薬品にダイオキシンが含まれていたことで、ベトナムの人々の生態系はダイオキシンという悪魔に襲われたのでした。この悲惨な歴史的事実を、全人類は学ばなければならないと思います。
 次に掲げる悲惨な写真は、同書の写真(同書の119頁=ホルマリンのかめに保存された二重体児その他)であるが、ダイオキシンの生態系に与える影響の大きさを訴えるために謹んで引用させていただきました。是非、目をそむけないで直視していただきたいと思います。


 さらに、中村梧郎氏の著書(前掲)の中から幾つかの文章を引用させていただいた。
 116頁には「明け方になって病院のフン医師が、宿舎にかけ込んできた。『ゆうべ真夜中に、病院で生まれました。無脳症の子です。生後30分で死にましたが、いま、来てみますか?』。私は彼の後について走った。無脳症児の誕生は、エージェント・オレンジ被爆者に統計的に多い。タイニン病院だけでも、この2年ほどの間に4〜5例に達すると、昨晩ホー・ダン医師から聞いたばかりだ。病院の手術室。子どもの体はまだ柔らかかった。出生は零時半。死亡は午前1時。分娩時の出血がそのまま肌にこびりついていた。額から上の頭蓋骨がない。前頭部の腫瘍が露出し、右眼球も欠落している。ひどい口蓋裂がある。体は赤ん坊らしく成長しているのに、頭部はほとんど形成されていない。22歳になる若い母親チャン・ティ・レは産科病棟のベットの上で、まだまどろんでいた。これが初産だったのにね、と看護婦さんが言った。」
 117頁「たった一夜のタイニン滞在なのに遭遇した無脳症児の出生。ついひと月ほど前に生まれたという二重体児も、すでにホルマリン液に漬かっていた。ベトナム全土ではいったい毎日どれだけの異常出産があるというのだろう。タイニン病院はベット数420で通常の出産は月に60件ほどしかない。ホー・ダン医師の手許には最近になってチェックをはじめたという奇形出生のデータがわずかにあった。
 二重体児=81年11月17日、4200グラム。出産直後に死亡。腹部で接合し、四肢は二対、肛門ひとつ、性器なし、胎児が過大のため陰部切開を施術。母B・Tスアン(22歳)、父N・V・ティ(32歳)。ロンタン村
 無脳症児=81年11月12日、3000グラム。母N・T・ホアン・トゥ(26歳)、ニンソン村
 無脳症児=80年3月12日、1000グラム。母N・ロアン(26歳)、タンタイン村
 無脳症児=80年3月15日、1100グラム。女児。母L・T・ゴク・トゥ(24歳)、帝王切開、バウコ村
 資料には80年以降一年半の間に21の奇形例があげられていたが、それも外見上の奇形が認められたものに限られていた。臓器や神経系、あるいは生後にみつかる異常などは含まれていない。80年以前のものは、極めて特殊な例の記録だけである。77年に分娩された「下肢」(ホアタイン村)。それはホルマリンに保存されていたが、腰から下の両足だけのもので、体そのものがないという極度の奇形である。そして76年にはロクフン村で、やはり二重体女児の出生があった。無脳症、あざらし肢症、二重体児。何万人あるいは何百万人にひとりといわれるような奇形があまりにも多い。81年にタイニン病院が行なった疫学調査では、ロクフン村の異常発生率は通常の10倍であることが示されていた。ロクフン村――解放戦線の重要根拠地のひとつ、ボイロイの森に近く、枯葉作戦が実験的に開始された61年以降、くり返しの散布攻撃をうけた地域である。」


 わが国の現状は、戦争こそ存在しませんが、ダイオキシン発生の源といわれる塩ビニル廃棄物の焼却処理は依然としてつづいています。高温処理という温度管理さえ守られればダイオキシンの発生は抑えられるということで、全国の市町村のごみ焼却施設では、今日も大量の塩化ビニル廃棄物が焼却処理されています。
 私は、「塩ビごみ」の処理は、焼却によってなされるべきでないというのが持論です。それは、このベトナムにおけるダイオキシン被害の惨状からくるものであります。

 私は、ダイオキシン削減対策は、発生の源を絶たなければならないと一貫して主張いたてきました。
 塩化ビニルは、現代社会の中で極めて安価で便利なものとして、住まい、包装、塗料、生活、産業資材など、ありとあらゆる分野に利用されて来ましたし、今も利用されつづけています。その塩化ビニルがなぜダイオキシン発生の源なのか。そのことについては、これを専門に取り上げているホームページをここに紹介しておきたいと思います。

 ダイオキシンがなぜ発生するのかを説明しているホームページ
    @ダイオキシンの生成メカニズム           Aダイオキシンは何を燃やしたら出るの?
    Bダイオキシンの素の塩素はどんな物から出るか C「ダイオキシン」が教えてくれたこと
    D塩ビの何がいけないの?              E家庭排出プラスチックごみの調査
    Fダイオキシンと包装材料               Gポリ塩化ビニル関連情報

 塩化ビニル焼却がダイオキシンの発生源との説に反論している塩ビ業界関係のホームページ
    @ダイオキシン問題                   Aダイオキシン問題と塩ビ

 私は、平成10年の2月千葉県議会で、ダイオキシン削減対策を県当局に迫りました。具体的には、塩化ビニル廃棄物を分別収集することと、焼却処理を中止することの提案をいたしました。その時の、私の質問についてリンクしておきます。是非、ご覧いただけたらと思います。

 この私の県議会本会議における質問、それに対する県当局の積極姿勢を示した答弁がなされてから、2年余の時間か経過しています。市町村段階で、分別収集が大変な作業となることえのためらい、塩ビごみを不燃物として扱う場合の処分場の狭隘さ、などが障害となって、事態は前に進めないでおります。肝心な塩ビごみの分別収集の検討が、広域での連続高温焼却施設の整備先行によって掻き消されようとしています。再度、挑戦しなければと考えております。(2000/10/20記)

■資料の追加■

 ダイオキシンによる奇形として「単眼症」があげられますが、「アトラス」という医学書の中に単眼症例があり、写真がありましたので、ダイオキシンの恐ろしさを訴えるために謹んで引用させていただきました。
 単眼症ですから、眼球は真中に一つ(いわゆる一つ目です。)鼻の突起が目の上になっているようで、顔の造作過程が徹底的に冒されてしまっているのだと思われます。専門書に目を通すと、こうしたケース(単眼症)の場合は、脳の発達に異常があり、本来脳の発達は母親の胎内にて当初一つの脳が左右に分かれ、その左右の二つの脳になったことで、目や耳が左右対になるのだそうです。したがって、下の写真のような胎児の場合には脳が左右に分離できなかったことから、目が一つしか作られなかったのだと思います。
 こうした胎児が、自然分娩で出産されることはないのだろうと思いますが(私は医者でもなし、そうした分野の知識も乏しいので)、例え帝王切開などで出産したとしても、脳が未発達であることから、生存は不可能なのだろうと想像されます。この写真にも、目を背けないで正視して下さい。そして、ダイオキシンのヒトの生殖作用に与える影響の大きさを、もう一度考えて下さい。


 もう一つあります。
 昨年(平成11年の6月29日の読売新聞に記事)ベトナム南部のティエンザ省で結合双生児の女児が生まれたそうです。その新聞記事をそのまま引用します。つい昨年のことなのですよ。ベトナムでは、枯葉剤を浴びた世代の孫にあたる「第三世代」に生殖障害が及び奇形児が生まれているのです。こんな残酷なことはありません。(2000/11/09)