counter カウンター

吉野秀夫のサイト



 最終更新日 2012/09/27 ⓒ吉野秀夫

  • sara_logo.psd

     "Sarashina Nikki" and Ikeda volost.

      "Sarashina Nikki" and "Kurotonohama(=Kuroto Beach)"

 千年昔のわが町を想像してみたい──そんな試みに挑戦。去る2月25日、千葉市黒砂公民館が主催する催しとして「更級日記と黒戸浜」と題する約2時間弱のお話しをさせて頂きました。当日は大勢の皆様がお出掛け下さいました。
  I imagine figure 1,000 years before our town.──By event that Kurosuna-community center of Chiba-shi sponsored on last February 25, I talked titled "Sarashina Nikki" and "Kurotonohama(=Kuroto Beach)".


kurosuna-001.jpg

 菅原孝標女が書いた『更級日記』の記述によれば、今から約千年前の寛仁4年(1020年)9月17日、上総の国司であった菅原孝標が、4年にわたった任期を終えて、京都の自宅へと上洛の旅にあった。この9月17日は「立ち待ち月」であったようで、孝標の一行は「くろとの浜」という処にて「月見の宴」を催したとある。
 その「くろとの浜」とは何処なのか。古来より様々な推敲がなされている。その最も有力な説が、千葉市稲毛区の黒砂とされてきた。しかし、確証となる物証があるわけでなし、地元に史料があるわけでなし…という具合なのだ。

 ところで、ここ昔の黒砂村の歴史は大変に古いようです。10世紀後半における平将門の乱の後、将門の部下6人衆(中山・高橋・渡邉・遠藤・山本・春山の各氏)が隠れるように落ちのび移り住んだと伝えられている。
 驚くことに、今も「仙人作」という地区には高橋さん、渡邉さん、山本さん、春山さんの末裔の方々が住んでおられる。下の2枚の絵図は「黒砂の資料を保存する会」が発行している冊子「黒砂 いまむかし」から引用させて頂いた。

kurosuna66.jpgkurosuna67.jpg

 そうした貴重な歴史を有する黒砂一帯だが、実は穴川方面から国道に抜けるバイパス道路建設用地へと化してしまった。消え去ろうとした「わが町の歴史」を掘り起こし、それを後世代につたえよう──その運動を「黒砂の資料を保存する会」(代表・増山良子さん)が健闘されている。私は増山良子代表のご主人(増山茂さん)とご縁があって既知の間柄にあり、その縁で、この度のお話しに伺うこととなった次第でした。

 その時のお話しは「メモなし」でお話しをし、録音もしませんでした。そこで、己の記憶を蘇らせ、これから小文に纏めようと思います。出来上がりましたら、この頁の続きに掲載します。(2012/03/06)