更級日記と黒戸浜

NPO法人:観光立県ちば支援フォーラム副理事長

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「更級日記」とは…

 約千年前の平安時代に、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって書かれた書物であり、原本は存在しません。後の時代の藤原定家(ふじわらのていか)の手による「写本」が現存します。
 その写本は、現在「御物本・更級日記」と呼ばれ、いわば天皇家の宝物として、今も京都御所内の御文庫に大切に保管されており、一般に公開されてはおりません。



  その「日記」風の記述の中に

1020.09.15
(京の自宅への旅立ち)
門出したるところは、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の、蔀などもなし。簾かけ、幕など引きたり。     (中略)
同じ月の15日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総の国のいかたという所にとまりぬ。庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくて寝も寝られず。野中に丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる、その日は雨に濡れたる物ども干し、国に立ちおくれたる人々松とて、そこに日を暮らしつ。
1020.09.17
(昔の工房跡、くろとの浜)
17日のつとめて立つ。昔下総の国に、まののてうという人住みけり。疋布を千むら万むら織らせ晒させけるが家の跡とて、深き川を舟にて渡る。昔の門の柱のまだ残りたるとて大きなる柱、川の中に4つ立てり。
人々歌よむを聞きて、心のうちに……
 「朽ちもせぬ この川柱 残らずは 昔の跡を いかで知らまし」
その夜は、くろとの浜という所にとまる。
片つ方はひろ山なる所の砂子はるばると白きに松原茂りて月いみじう明かきに風の音もいみじう心ぼそし。
人々をかしがりて歌よみなどするに……
 「まどろまじ 今宵ならでは いつか見む くろとの浜の 秋の夜の月」

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